五月革命から生まれた「監督週間」

カンヌ映画祭の並行週間に行われる「監督週間」。これは、1968年にフランス全土を揺るがした「五月革命」が引き金になり、誕生しています。


トリュフォー
五月革命の前、1968年2月のこと。シネマテークの創設者で事務局長のアンリ・ラングロワが政府の圧力により解任されるという事件が起きています。これに反対したのが、フランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダール、ピエール・カスト、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズといったヌーヴェル・ヴァーグの面々。彼らは世界中の監督たちに電報を打ち、作品の引き上げを要求しました。そんな彼らの抗議行動を受けて、ラングロワは事務局長に復帰することになります。

そして映画界だけではなく、社会の変革を求める声は、学生や労働者の間で徐々に拡大し「五月革命」へと突入してゆきます。


ゴダール
そんななか、5月10日から開催された第21回カンヌ映画祭。ラングロワ事件の面々は、映画祭の中止と具体的な要求を掲げて、カンヌへ乗り込んだのです。

具体的な要求とは、映画製作に対する自由の保証、検閲の廃止、本選選考枠の拡大の3点。彼らは会場へ座りこむなどの抗議行動を起こし、結局この騒動のあおりを受けて、カンヌ映画祭は中止に追い込まれてしまいます。


1968年9月、フランス映画監督協会(SRF)が創設されました。ジャン=ガブリエル・アルビココが事務局長となり、主要メンバーには、コスタ・ガヴラス、エリック・ロメール、ジャンク・ドニオル=ヴァルクローズらが名を連ねています。

そして、カンヌ映画祭の当時の総代表ファーブル=ル=ブレは、SRFにカンヌ映画祭の新セクション創設の企画を提案します。ファーブル=ル=ブレは、映画祭中止を受けて、再び騒動に巻き込まれるのを恐れていたのです。こうして、並行週間での「監督週間」が誕生しました。

1969年の第22回カンヌ映画祭より「監督週間」は始まりました。SRFの面々は、監督同士のコネをいかして電話をかけまくり、作品をかき集めたといいます。監督に直接コンタクトをとるという方法は、現在も受け継がれているのだそうです。

監督週間は、政治的配慮や商業的思惑などを排除して、自由な立場で世界中の監督を紹介することを目的として、現在では、本選と並ぶ人気部門に成長しています。



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