カンヌ映画祭とスキャンダル

1979年12月13日。「ル・マタン」紙に、フランソワーズ・サガンのインタビュー記事が掲載されました。タイトルは「カンヌ映画祭 『地獄の黙示録』のグランプリ受賞に対する裏工作と圧力の暴露」。



サガン
この年のカンヌ映画祭の審査委員長は、女流作家のフランソワーズ・サガンがつとめています。グランプリは、フォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」と、フランシス=フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」の二作が同時受賞しました。

しかし、上映後の会議では、審査員の間では「ブリキの太鼓」が圧倒的優位にたっていたといいます。しかし、映画祭事務局の前総代表モーリス・ベッシィや、当時の会長ファーブル=ル=ブレは、「地獄の黙示録」を支持していました。苦心の末、頼みこんで出品してもらった経緯があったので、事務局側はなんとかコッポラ監督の顔をたてたかったのです。


「地獄の黙示録」
そして最終日の会議では、「地獄の黙示録」が巻き返し、「ブリキの太鼓」と五対五で、二作品共にグランプリを受賞することになりました。サガンは、モーリス・ベッシィとファーブル=ル=ブレが審査員たちに圧力をかけたのではないかと直感し、激怒したのです。サガンはこの結果に納得できず、審査委員長の裁決権の行使を求めたのですが、ファーブル=ル=ブレに拒否されてしまいます。

実は当時、サガンはギャンブルに失敗して、多額の借金を抱えていました。そこで、カンヌ映画祭にまつわる暴露記事を新聞に売ろうと考えたのですが、ためらっていたといいます。

そんな折、サガンのもとに、カンヌ映画祭のため滞在したホテルの請求書が送られてきます。本来ならば、映画祭負担のはずの宿泊代が請求されるというのは、嫌がらせ以外の何物でもない……。そう考えたサガンは激怒します。そして「ル・マタン」紙で暴露するに至ったのです。


しかし、サガン自身も映画祭事務局の圧力の詳細までは明らかにしていないし、映画祭側もあり得ないことと否定しています。



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