第二次大戦下でのフランス映画

1939年、第二次世界大戦が始まります。1930年代を代表する映画監督のうち、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ルネ・クレール、ジャン・ルノワールはハリウッドへ渡り、ジャック・フェデーは中立国のスイスに逃れていました。

パルムの僧院
パルムの僧院 《完全版》
しかし、ドイツ軍に占領されてからも、映画は製作されていました。ナチスドイツは、フランスの映画人によって映画製作を行う、ドイツ資本の会社「コンティナンタル」を設立します。コンティナンタル社では、クリスチャン=ジャックが「幻想交響楽」を撮りましたが、フランスのナショナリズムを刺激するとして、ナチスの怒りをかったといいます。クリスチャン=ジャックは、戦後、「パルムの僧院」、「花咲ける騎士道」、「女優ナナ」などの娯楽作でヒットを飛ばしています。

アンリ=ジョルジュ・クルーゾは、コンティナンタル社から「犯人は21番に住む」で監督デビュー。ところが、2作目の「密告」が、フランス人の愚かさをわざと描写した反フランスのプロバカンダ映画だと、レジスタンス側から非難され、活動停止に追い込まれてしまいます。戦後は、「犯罪河岸」、「恐怖の報酬」、「悪魔のような女」など、傑作を次々と発表し、サスペンスの巨匠と呼ばれるようになりました。

悲恋
悲恋
ジャン・ドラノワは、占領下の政治的制約を巧みに逃れて、恋愛ドラマ「悲恋」を発表。戦後、ジャン・ドラノワは、歴史劇からサスペンスまでこなす監督として活躍します。また、ジャック・ベッケルもナチス占領下に、「最後の切札」で監督デビューを果たしています。

この頃、ジャン・グレミヨンは「曳船」、「高原の情熱」、「この空は君のもの」といった傑作を生み出しました。ジャン・グレミヨンはジャック・ベッケルらとともに、「フランス映画解放委員会」を組織し、レジスタンス活動も行っていました。

天井桟敷の人々
天井桟敷の人々
そして、フランス映画史上の最高傑作といわれる「天井桟敷の人々」も、この時代に誕生しています。監督は、戦時下に「悪魔は夜来る」で大ヒットを飛ばしたマルセル・カルネ。「悪魔は夜来る」は、ナチスの検閲にはひっかからなかったものの、フランスの抵抗精神を象徴した作品として知られています。マルセル・カルネは、ナチの監視の届きにくい南フランスで、3年の歳月をかけて壮大な人間ドラマ「天井桟敷の人々」を完成させます。パリ解放後の1945年に公開され、史上最高の傑作と絶賛されました。




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